【起業物語4】「もっと子供に会いたい!」会社をクビになって感じた違和感

起業物語4
ずーみー
前回のあらすじ】突然、派遣元の社長・Tさんからクビを宣告されたずーみー。あまりにもスムーズに色々と事が運ぶので不審に感じる。お別れ会の席上、実はTさんにはめられたと気づくが、ずーみーにはもはやどうすることもできなかった、、、

ごめん、会社クビになっちゃった・・・

もしも会社をクビになったら、あなたならどう家族に伝えるだろう?

僕が妻にクビになったことを告げたのは、お別れ会が開かれる一週間ほど前だった。
長男が生まれてまだ4ヶ月。赤ちゃんの夜泣きで疲れている妻にどう切り出そうか、数週間ほどああでもないこうでもないと考えた。結局、僕は直球勝負でいくことにした。

「ごめん、会社クビになっちゃった・・・」

すると、妻はこう答えた。

「良かったじゃない。あんな会社、前からおかしいと思ってたのよ。家族が健康で幸せなら、私はそれでいいから」

その言葉に、僕はどれだけ救われたことだろう。

 

2年ぶりに助監督復帰

2015年4月。

会社をクビになった僕は、2年ぶりにフリーランスのドラマ助監督として働き始めた。本当はディレクターとしてどこかの会社で働きたかった。だが、残念ながら、30過ぎの僕を好条件で雇ってくれるところはどこにも見つからなかったのだ。

4月いっぱいは生活のため。

そう割り切って暴君・Tさんの下で働いた。正直、Tさんが監督する作品のために働きたくなどなかった。もはや、Tさんに対して不信感しか持っていなかったからだ。

僕の顔にもはっきりそう書いてあったのだろう。そのせいか、Tさんの僕に対する扱いは、何年も付き合ってきた中でこの時が一番酷かった。

あるロケハンの帰り、新宿でTさんを囲む飲み会が開かれた。そこには、ベテランカメラマンや照明技師たちも参加していた。その飲み会で、僕は酔ったTさんからコテンパンに罵倒された。
彼の人格攻撃はよくあることだった。だから、最初は黙って聞き流していた。だが、僕が作ったドキュメンタリーの悪口を言われたところで、堪忍袋の緒が切れた。
僕はぼろぼろ涙を流しながら、「ドキュメンタリーをなめるな」的なことを言い返した。周りの先輩たちは、Tさんに歯向かう僕の姿に驚き、目を丸くしていた。
その後のことは覚えていない。無礼な助監督を見かねた先輩たちに酔い潰されてしまったからだ。

それ以来、本当の意味で僕とTさんとの関係は終わってしまった。

育ててもらったことに対して感謝はしている。だが、今後は彼の世話にはならないと決めた。
これからは自分の力で道を切り開いていくことに決めたのだ。

 

もっと子供に会いたい!

辛かった4月が終わり、5月になった。

僕は知り合いに誘われて、深夜の連続ドラマの助監督をすることになった。よくある刑事ドラマだ。毎回チープな殺人事件が起き、主人公がそれを解決するというベタな内容だった。

そのころ、僕は自分の人生に対して、ふたつの違和感を感じていた。

ひとつめは、仕事に対する違和感だ。

僕はもともと、映画監督になることを目指してテレビ業界に入った。最初はテレビ業界で働けること自体が嬉しかった。毎日が冒険のようでワクワクしたし、ドラマ作りを生きがいに感じたこともあった。

だが、それから10年ほどが経った。
30代になった僕はもう、テレビ業界の中でドラマを作ることに対して、以前ほど意義を見出すことができなくなっていた。

その一番の理由は、テレビで流れるドラマの内容に幻滅してしまったからだろう。
視聴率重視で制作されるテレビドラマは、どうしても数字をとりやすい題材を選びがちだ。典型例が刑事ドラマである。その結果、毎晩くだらない殺人劇ばかりが垂れ流される。

しかも、この10年間というもの、テレビ業界は斜陽産業への道を突き進んでいた。年々予算が削減されたために、ストーリーはどんどんしょぼくなった。さらに、一部のクレーマーを恐れてコンプライアンスが強化されたため、当たり障りのない内容しか放送できなくなってしまった。そんなドラマなんて、大衆の暇つぶしにすらならない。

僕は、人々の心に残らないドラマを作る人生なんて意味がないと思ったのだ。
本当は、もっと意義のある仕事がしたかった。
つまり、純粋に人々の心に残る映像を作りたかったのである。

 

* * * * *

 

もうひとつの違和感。それは、家族との時間の過ごし方である。

僕は父親として、これまでのように仕事中心で生きていくことに疑問を感じ始めたのだ。

長男が生まれてから、ちょうど半年が過ぎようとしていた。赤ん坊の成長は早い。最初はベビーベッドで寝ているだけだった赤ちゃんが、だんだん表情豊かになり、「ウーウー」言いながら床をはいずりだした。僕はその姿をたまらなくかわいいと感じた。

自分にとって一番大事なのは、子供と過ごす時間なのではないか?

子供の成長をかみしめながら、僕はそう考えるようになっていた。

だが、助監督の僕には、子供と過ごす時間はほとんど取れなかった。仕事が過酷すぎたからだ。
かわいい子供の顔を見れるのは、週に1度、数十分あるかないかだった。

僕は毎朝始発電車でロケへ出発し、へとへとになって終電で帰宅した。帰っても家族には会えなかった。物音で妻と子供を起こさないために、寝室を別にしたからだ。そして翌朝も、家族の顔を見ることなく仕事へと出かけた。

 

・・・もっと子供に会いたい!

 

毎朝ひとりで薄暗い玄関を出るとき、心の中でそう叫ぶ声が聞こえた。
だが、僕はその声を押し殺した。

子供に会いたいなんて甘い考えじゃダメだ。
みんな自分を犠牲にして働いてるじゃないか。
父親が子供に会えないのは常識だ。
自分の父親だって、毎晩遅くまで働いていた。
父親になるということは、自分を犠牲にするということなんだ———

 

* * * * *

 

そんなある日のことだった。
僕が「生き方を変えよう」と決意する出来事が起きたのは。

【第5回へと続く】

【起業物語5】僕が起業を決めた本当のきっかけ

2017.07.10
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映像制作ZOOMY VIDEO代表。テレビ制作会社をクビになったのをきっかけに、2年前にデジカメ1台で起業。当ブログでは、自分が起業で苦労・失敗した経験をもとに、知識0のサラリーマンが1年以内に月収50万以上稼ぐ起業家になる方法を発信中。