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【起業物語1】なぜ僕はテレビ業界に入ったのか?

【起業物語1】なぜ僕はテレビ業界に入ったのか?
ずーみー

こんにちは!

ブログ起業コンサルタントのずーみー(⇒プロフィール)です^^

これから複数回にわたって、僕の実際の起業ストーリーをお話ししていきます。

第1回は、起業する以前、なぜ僕が映像制作を志したのかについてお話しします。

プロフィール

映像制作に目覚めたきっかけ

僕がテレビ業界で働き始めたのは2006年のことだ。

最初の仕事は、NHKで大リーグの試合ハイライトを編集するアルバイトだった。

週に数回、始発電車で中野のアパートから渋谷のスタジオに出かけていき、イチローや松井秀喜らの試合ハイライトを作った。

バイト代は1試合あたり8000円だったと思う。

僕が映像制作に興味を持ったのは大学時代。

当時住んでいた学生寮で、先輩たちから学生映画作りに誘われたのがきっかけだった。

なぜか、都内主要大学の映画研究会幹部たちの部屋が、僕の部屋の周りに集まっていたのだ。

スタッフとして学生映画の撮影現場に駆り出されるうちに、僕はその面白さにはまっていった。

そして、いつしか僕は、映画監督になりたいと思うようになった。

「冒険がしたい!」

今振り返ってみると、僕が映画監督になりたいと思った一番の理由は、これだと思う。

映画監督になれば、華やかで怪しげな芸能界で、毎日たくさん冒険できる気がしたのだ。

では、なぜ僕は冒険がしたかったのか?

それを説明するためには、僕の子供時代の話をしなければならない。

 

偏差値で比べられることが嫌だった

芦屋川
村上春樹の小説『羊をめぐる冒険』のラストに登場する芦屋川の河口

僕は兵庫県の芦屋で育った。

芦屋は、海と山にはさまれた小さな街だ。

全国的には高級住宅地ということで名が知れ渡っている。

(ちなみに、小説家の村上春樹も芦屋出身だが、彼とは大学も学生寮も同じという奇妙な縁がある。学生寮の話は『ノルウェイの森』の中に出てくる。)

少年期の僕は、とても教育熱心な両親の家庭で育てられた。

小学3年生から有名学習塾に通わされ、中学受験をして、日本一偏差値の高い灘中に落ちた。

そして、滑り止めで受かった、大阪で一番偏差値の高い中高一貫校に通った。

いわゆる反抗期に入ったころから、僕は、偏差値でくらべられ競争させられる日本の教育システムに、強い違和感を覚えるようになった。

テストの点数よりも大事なものがあると、僕は直感的に悟っていたのだ。

たとえば、小説や映画の「面白さ」や、絵画や音楽の「美しさ」は数値化できない。

僕は、そういった数値化できないものにこそ、本当の価値があると思った。

だから、テストの点数を競うだけの受験勉強が死ぬほどくだらなく、苦痛で仕方なかった。

しかし、一方で、両親を安心させたいという気持ちも強かった。

だから、大学受験までは親の敷いたレールに乗り、そこから先は自分のやりたいようにやろうと心に決めた。

そして、東京の大学に受かり、実家を出たあかつきには、偏差値という数字では測ることのできない「芸術の世界」に飛び込みたいと思った。

そんな僕が、大学で映画に出会い衝撃を受けたのは、ある意味で当然だった。

「これで冒険ができる!」

映画に出会った僕は、そう直感したのだ。

 

ダブルスクールして映像の勉強を始めた

一度決めたことは、何事も最後までやり通すというのが僕のポリシーだ。

映像の道に進むと決めた大学3年の夏、僕は両親をなんとか説得して、夜間の映像専門学校に通わせてもらえることになった。

大学と専門学校のダブルスクールをこなすのはとても大変だったが、僕は必死で食らいついた。

そして、専門学校の卒業制作として、僕は一本の中編映画を作った。

タイトルは『ミクのかくれんぼ』

田舎のミカン畑が舞台の青春映画だ。

映画を作るにあたって、僕は小田原の国府津という街を巻き込むことにした。

国府津は、海と山が非常に接近していて、昭和レトロな香り漂う素朴な街だ。

まず、僕は、商店街の会長に頼み込み、格安でアパートの一室を借りた。

そして、そのアパートで、役者やスタッフと1ヶ月ほど合宿しながら映画を撮った。

毎日、ロケ地をさがしながら、いきあたりばったりに撮影した。

毎日がハプニングの連続だった。

みんなで近所のスーパー銭湯に行った帰り道、お湯でのぼせたスタッフの車が事故を起こし、警察沙汰になったこともある。

まさしく冒険の日々だった。

とても苦労して作ったので、思い入れの強い映画が完成したが、残念ながら、何の賞レースにもひっかからなかった。

もし、この映画が何かの賞を取っていたら、僕は今ごろ映画監督だったかもしれない。

でも、「自分の映画を作ることができた!」という経験は、その後の僕の人生において、大きな自信になったと思う。

最後に、少し恥ずかしいが、『ミクのかくれんぼ』をここで公開する。

もしよかったら観てあげてほしい。

映画監督になりたかった、過去の僕のために。


▼『ミクのかくれんぼ』(49min)


【第2回へと続く】

【起業物語】ドラマ助監督として冒険の世界へ

3件のコメント

ずーみーさんの著書『テレビマンやめました。』を読んだので、卒業制作『ミクのかくれんぼ』が公開されていて嬉しかったです。今は、プロフィールの続きが気になるので、先に文章を読んできます!

おはようございます。
記事を読む前に「ミクのかくれんぼ」視聴させていただきました。懐かしい昭和の時代を想わせる落ち着いた良い映画だと思います。マンガが原作のアクション映画や刑事ドラマなどは、それなりに面白いと感じたこともありましたが、何一つ憶えていません。この映画は派手ではないですが、1度観ただけで記憶に残るのです。ドキュメンタリーに近いと感じるのは、ずーみーさんが意図して創られたからにちがいありませんね。こういう作品を創れる方は何をしても成功するはずだと思いました。
ありがとうございます。

takafumiさん、こんにちは!
卒業制作映画を観ていただきありがとうございます。
未熟な作品ですが、気に入っていただきうれしいです。
ありがとうございますm(__)m

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