実力主義のテレビの世界で認めてもらうために、僕は睡眠時間を削って誰よりもたくさん働いた。
助監督になって3年後、恩師Tさんとの出会いがきっかけでディレクターに昇格した僕は、ドキュメンタリー制作の面白さにのめり込んで行った。
しかし、Tさんとの間には徐々にすれ違いが・・・
なぜ僕は会社をクビになったのか?
2015年2月、神戸ロケを終え東京に戻ってきた僕は、派遣元の社長・Tさんに呼び出された。
赤坂のドトールで二人分のドリンクを運びながら、僕は、Tさんとゆっくり話すのが随分久しぶりだということに気づいた。
僕がドキュメンタリーの世界に夢中になってしまって以来、優秀なドラマ監督でもあるTさんとは、飲みに行くことがほとんどなくなった。
ふたりの関係は冷え切っていた。
2階の窓際席に座り、僕とTさんは他愛のない世間話を始めた。
「きっと、契約更新の話だろう」
中身のない会話をしながら、僕はそう思った。
単年契約だったので、毎年3月末に契約を更新しなければならなかったのだ。
ディレクターとして、僕はすでに2度、契約を更新していた。
次が3度目の契約になるはずだった。
だが、しばらくしてTさんの口から出たのは、僕がまったく予想していない言葉だった。
「3月で契約を打ち切る」
Tさんは、重い口調でそう切り出した。
僕は最初、Tさんが何を言っているのか、理解できなかった。
・・・契約終了?
ディレクターを辞めろということ?
つまり、クビ?
なぜクビ?
どうしてこうなった???
その後、混乱した頭で僕が聞いた内容は、こういうことだ。
✔︎派遣先の社長が、僕を降板させろと言っている。
✔︎降板理由は、僕の実力不足。作る番組が面白くないから。
✔︎3月で契約は終了。
✔︎4月はTさんが監督するドラマで助監督をすること。
✔︎5月以降の仕事は自分で探すこと。
衝撃的な宣告を受けて派遣先に戻った僕は、デスクで放心状態だった。
これだけ会社や番組のために尽くしてきたのに、なぜ?
もし自分がいなくなったら、一体誰が番組を回すのか?
誰にも回せるはずがない。
番組が大変なことになってしまってもいいのか?
そんな思いが、ぐるぐると頭の中を駆け巡った。
手塩にかけて育ててきた自分の番組のことが、僕は大好きだった。
だから、クビという現実を受け入れることができなかったのだ。
その日はまったく仕事にならなかったので、早めに帰宅することにした。
出張明けで数日ぶりの我が家には、僕以外誰もおらずひっそりしていた。
妻は3ヶ月前に長男を出産したきり、実家に帰ったままだった。
クビになったことを、妻にどう伝えればいいのだろう?
子供が生まれたばかりなのに、これから一体どうしよう?
5月以降、仕事は見つかるだろうか?
ちゃんと家族を養っていけるのだろうか?
一晩中そんなことを考えていると、やがて朝が来た。
結局、それから1ヶ月以上、僕はクビになった事実を妻に言い出せなかった。
世界一空虚な味の焼肉
翌日、出社すると、顔面蒼白な僕に話しかけてきた人物がいた。
派遣先の社長・Kさんだ。
Tさんに僕をクビにしろと言った張本人である。
「おい、今晩空いてるか?」
Kさんは僕を食事に誘った。
どうしようか一瞬迷ったが、僕は行くことに決めた。
もともと、Kさんのことが嫌いなわけではない。
むしろ、社長然とした風貌や物言いをとても尊敬していた。
だから、なぜ僕をクビにしたのか、Kさんの口からはっきり聞きたいと思ったのだ。
その晩、Kさんに連れられて入ったのは、30年間生きてきた中で一番高級な焼き肉料亭だった。
僕は世界一空虚な味がする壺漬けカルビを噛みながら、黙ってKさんの話を聞いた。
話の内容をまとめるとこうだ。
✔︎いままでよくやってくれて本当に感謝している。
✔︎契約終了はお前のためを思って決めたことだ。
✔︎こんな小さな番組で頑張るのではなく、もっと大きな番組を経験しろ。
✔︎ずっと同じ場所にいてはいけない。いまは色々な場所で経験を積むべき。
不思議なことに、僕が実力不足であるという話にはならなかった。
いつもはっきり物を言う人なので、そうならそうだと告げて欲しかった。
だが、もしかすると、Kさんなりに気を遣ってくれたのかもしれないと思った。
僕は、まだ自分の運命を受け入れられなかった。
だが、本当か嘘か知らないが、Kさんは僕のためを思ってクビにしたという。
僕は、その言葉を信じて、少しでも前向きになるしかなかった。
後任への引き継ぎ
数日後、僕の仕事を引継ぐために、後任ディレクターの男性が派遣されてきた。
あまりにもスムーズに事が運ぶので、僕はとても驚いた。
後任が決まるのはもっと後だと思っていたからだ。
だが実は、僕が地方出張している間に、社内で面接が行われていたらしい。
鬼の居ぬ間に洗濯という会社の態度にも腹が立ったが、それよりもショックだったのは、僕のクビを会社のみんなが隠していたことだ。
何も知らないのは、自分ひとりだけだったのだ。
その間抜けな状況に、僕はとても悲しくなった。
自分のデスクを後任ディレクター・Sさんに明け渡し、僕はそれまで一人でこなしてきた膨大な量の業務を伝えた。
5歳年上の彼は、飲み込みがとても早く、人当たりも良い好人物だった。
おそらく、すぐに仕事を完璧にこなし、スタッフたちとも打ち解けるだろう。
社内を案内していると、Sさんは僕にこんなことを聞いてきた。
「次の仕事は何をするんですか?」
彼は僕が会社をクビになったことを知らないのだと思った。
どう答えようか迷ったが、仕方なく僕はこう答えた。
「実はまだ決まってないんですよ。ぶっちゃけクビなんで。子供が生まれたばかりで困ってるんですけど、何かいい仕事あったら紹介してくださいね、ハハハ・・・」
それを聞いたSさんは、僕の顔を見つめてしばらく絶句していた。
衝撃のお別れ会
それからあっという間に1ヶ月が過ぎ、僕にとって最後のスタジオ収録が終わった。
撮影の後、スタッフたちが僕のお別れ会を開いてくれると言い出した。
惨めな気分になるだけだから、と僕は拒否しようとしたが、強引に連れていかれてしまった。
いつも打ち上げで使う居酒屋で、10人ほどのスタッフたちが僕の2年間の労をねぎらってくれた。
まったく悲しいムードではなく、むしろ先輩たちが明るく盛り上げてくれた。
普段通りすぎて、僕は、本当にこれでお別れだとはとても思えなかった。
酒が入り、会が終盤に差し掛かったころ、一番ベテランのプロデューサーが僕に話しかけた。
「ドラマに戻るんだってね、残念だけど応援してるよ」
それを聞いた僕は、「あれ?」と思った。
5月以降の予定はまだ白紙だったからだ。
「いや、次の仕事決まってませんけど?」
「え?でも、Tさんからそう聞いてたから・・・」
その瞬間、僕の中で全てが繋がった。
あまりにも段取りよく僕のクビが決まった背景で、Tさんが強引に手を引いていたという事が、はっきりわかったのだ。
みんなの話を総合すると、派遣先の会社で、Tさんはこんな筋書きを描いていたらしい。
僕は「ドラマの仕事に戻りたがっている」ということにさせられていたのだ。
だから、その希望を叶えるために、K社長をはじめスタッフたちが協力して、僕を卒業させるために動いてくれていたのだ。
でも、一体なぜTさんは、そんな子供じみたことをしたのか?
今考えてみると、おそらく、Tさんは僕にドラマの世界へ戻ってきて欲しかったのだと思う。
ドキュメンタリーというわけのわからない世界に行ってしまったことが不満だったのだろう。
そして、それがTさんなりの親心だったのだと信じたい。
だが、お別れ会のあとの僕に残った感情は、怒りと悲しみだけだった。
なぜ、Tさんの気まぐれで自分の運命が決められないといけないのか?
雇い主はそんなに偉い存在なのか?
僕はあなたのおもちゃじゃない。
ふざけるな。
しかし、全てはもう決まってしまった後だった。
ただの派遣スタッフに過ぎない僕には、もはやどうすることもできなかった。
* * * * *
それから2日後。
僕はTさんの下でドラマ助監督の仕事を再開した。
心にはぽっかりと大きな大きな穴が空いていた。
【第4回へと続く】
突然クビ…この四文字に、こんな背景があったとは…。
ずーみーさんの文章に引き込まれます。
続きを読んでこよう!