現在、日本国民の経済格差は、ものすごい勢いで広がり続けています。
富は勝ち組に集中し、負け組の収入は減り続ける一方です。
このまま行くと、自分の子供が大きくなった時、とても生きづらい社会になるのではないか?
そのことに、僕は強い危機感を抱いています。
僕は、そんな暗い未来を、子供たちに手渡したくありません。
そこで今回は、日本から格差をなくす方法を、徹底的に考察したいと思います。
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目次
日本で格差社会が生まれる最大の原因とは?
そもそも、なぜ日本で格差社会は生まれたのでしょうか?
それには、僕たちに刷り込まれた、あるイデオロギーが関係しています。
ちょっと難しい話になるかもしれませんが、頑張ってついてきてくださいね。
僕たちは、30年前にアメリカが唱え始めた、「グローバリズム」というイデオロギーの被害者なのです。
アメリカの意向を受けて、「グローバリズム」や「市場原理」が、日本のありとあらゆる制度に導入されました。
その結果、僕の大嫌いな「競争社会」が生まれたのです。
僕たちが親や教師から教えられた競争社会のルールとは、つまりこういうことでした。
- 能力がある者、努力をした者は、それにふさわしい報酬を得る権利がある。
- 能力がない者、努力を怠った者は、それにふさわしい罰を受けるべきである。
いわゆる「アメとムチ」というやつです。
数値化できる格付け基準にもとづいて、人に報奨を与えたり、処罰を加えたりすれば、すべての人間は、報奨を求め、処罰を恐れて、その潜在能力を最大化するであろう。
そういう一面的な人間理解にもとづいた原理です。
そんな社会の空気を、僕らは幼いころから当たり前と思って吸ってきました。
子供のころは学歴や偏差値で比べられ、大学を出ると就職先や年収で比べられました。
その結果、僕たちは能力主義・成果主義・数値主義を深く内面化した大人になりました。
日本が格差社会になってしまった最大の理由。
それは、能力主義的・成果主義的な人間が、日本の大多数を占めるようになったからです。
能力主義が生み出した息苦しい世界
能力主義が当たり前の世界で、社会的上昇を果たした人は、どう考えるでしょうか?
この成功は、自分の才能と努力の結果に違いない。
だから、全ての報酬は、自分が受け取るべきである。
努力していない人間と報酬を分かち合うなんてもってのほかだ!
なぜなら、彼らは罰を受けるべきなのだから。
必ずそう考えるようになります。
日本政府やメディアが30年もかけて言い触らしてきたのですから、みんながそう信じてしまうのも仕方ありません。
その結果、どんな世の中になったか?
勝ち組は、自分のためだけに富を増やし続ける。
負け組は、いつか自分も勝ち組になって、富を独占してやろうと考える。
それが当たり前になりました。
そういう世の中では、負け組に優しい救いの手が差し伸べられることはありません。
なぜなら、それこそが、彼ら全員の共有する「フェアネス」だからです。
そのため、負け組は基本的に、いつまでたっても負け組のままです。
お互いを蹴落とし合う負け組たち

負け組がいつまでも負け組になってしまうのが、能力主義的な世界の特徴です。
日本では、それが行き過ぎた結果、負け組がお互いを蹴落としあうようになりました。
たとえば、数年前、大阪の市営バス運転手の年収が問題になったことがあります。
当時の市営バス運転手の平均年収は739万円で、民間会社のバス運転手の平均年収より195万円も高かったそうです。
それを見て、「これはもらいすぎだ」と言い出した政治家がいました。
「市営バス運転手は、既得権益をむさぼるワルモノである」と。
そして、それに同調したマスメディアが、連日祭りのように騒ぎ立てました。
その結果、どうなったかというと・・・
市営バス運転手の給与は、なんと 「4割」 もカットされてしまったそうです。
この報道を見て、負け組の多くは、拍手喝采をおくりました。
ワルモノがやっつけられてよかったね、と。
きっと、明日は我が身なのにもかかわらず。
なんだか救いがない話ですね。。。
このように、能力主義的な世界観を背景にして、今も格差は加速度的に広がり続けています。
能力主義的な人たちの考え方は間違っている

でも僕は、能力主義的な人たちの考え方は、はっきり言って間違っていると思います。
なぜなら、彼らが自分たちの報酬の論拠としている「能力」や「努力」への考え方そのものが、根本的におかしいからです。
そもそも、「能力」や「努力(できる能力)」というのは、先天的なものです。
「背が高い」とか「視力がよい」とか「鼻がきく」というのと同じ、天からの贈り物です。
つまり、人類共通の財産なのです。
だから、自分だけで独占してはいけません。
背が高い人は、高いところにあるものを、手の届かない人のために取ってあげる。
眼がいい人は、嵐の接近や「陸地が見えた」ことを、いちはやく知らせる。
鼻がきく人は、火事の発生に気づいて、警鐘を鳴らす。
全員がそんな風に自分の能力を使うようになれば、とても良い世の中になると思いませんか?
才能や努力で成功をつかんだ人は、まだ成功していない人たちを、優しく引っ張り上げてあげる。
なぜなら、その才能や努力は、たまたま天が与えてくれたもの。
自分だけの所有物ではないのだから。
これこそが、僕の考える「フェアネス」です。
日本から経済格差をなくす方法とは?
けれども、僕のような考え方の人間は、かなり少数派なようです。
現実に目を向けると、会社という共同体の中でさえ、自分の能力を、自分の出世のためだけに使う人が大多数です。
彼らは、たとえ同僚といえども、潜在的には「敵」とみなします。
会社では、銃弾が前からも飛んでくれば、後ろからも飛んできます。
戦場で負傷した者は、容赦なく見捨てられます。
なぜなら、戦場で負傷するのは、「自己責任」だからです。
そして、会社のメンバー全員が、それを当たり前だと思っています。
僕は、そんなふうにして心や体を壊し、使い捨てにされた人を、今までたくさん見てきました。
とても悲しいことです・・・
僕は、こんな世の中に、はっきり「NO」と言いたい。
そして、そのために始めたのが、このブログなのです。
日本から経済格差をなくし、フェアネスを実現するためには、どうすればいいのか?
そのためには、能力主義的な価値観から脱した先行者が、後続者を優しく引っ張り上げてあげるしかありません。
僕がこのブログでお金を稼ぐ方法を発信しているのは、実はそういう思いからなのです。
ずーみーさん、いつもお世話になっております。
僕もずーみーさんの『フェアネス』の考えに大賛成です!
日本は経済面でも健康面でも、かなり病んでいると思います。
日本が立ち直るには、ずーみーさんのような考えを持つ方がもっと増えなくてはいけないと思います。
ずーみーさんの理念に強く感銘を受けました。
「能力」だけでなく「努力できる能力」もまた先天的なものという視点は考えさせられました。ブログ研鑽のための写経にしても、やるかやらないかだけなんだからやればいい、とか、〇〇をその人はやってないだけ(だから、うまくいかない)、ということを聞くと「そっか、やればいいんだ」と思いますが、そもそも「やれる」ということもありがたいことです。どれくらいやるのか、やれるのかの段階がさまざまなんですね。だからこそ、それぞれに出来ることがあるんだな~と思いました。
格差社会をなくす行動は大河ドラマの『渋沢栄一』の生きざまにもありますね。
あのように日本の経済の根底を築いた人物の思いがずーみーさんの記事にもありますね。
フェアネスそれこそが日本を豊かな経済活動へ誘うことだと思いました。
なるほど!今日も唸らされてしまいました。
自己の利益優先の世の中
当たり前で当たり前ではありませんよね
困った時は頼ってこられるけど
助けて欲しい時には見放される
お人好しと言われようとも
私は出来る事はします。
毎度 ずーみーさんのブログは考え深いです。
これこそ日本社会が病んでいる根本的な原因な一つだと思います。競争社会で競うことをよし、とする人も多いですねが、私は疲れてきました。富を奪い合う世界ではなく、分かち合う世界を選択する、犬飼ターボさんの「星の商人」の最後の下りを読んだ時を思い出すとともに、ずーみーさんのこうしたお考え、価値観を知り、ますますファンになりました。
凄く良い記事だと思います。
日本から経済格差がなくなりますように。
ゆなさん、こんにちは!
コメントいただきありがとうございます。
すごく良い記事だとおっしゃっていただき、とてもうれしいです。
励みになりました。ありがとうございます。
本当に、日本から経済格差がなくなってほしいですね。